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故梁瀬義亮プロフィール
年 | 年齢 | 経歴 |
大正9 | 0 | 3月5日 父 浄土真宗本願寺派寶満寺住職 梁瀬齊聖 の三男として 奈良県宇智郡五條町に生まれる |
大正15 | 6 | 五條男子尋常高等小学校入学 |
昭和6 | 12 | 奈良県五條中学校入学 |
昭和11 | 17 | 岡山第六高等学校入学 |
昭和14 | 20 | 京都大学 医学部 入学 |
昭和18 | 24 | 京都大学 医学部 卒業 |
軍医となりフィリピン戦線へ出征 | ||
昭和21 | 27 | 9月復員 |
昭和22 | 28 | 3月 兵庫県立尼崎病院内科勤務 |
昭和23 | 29 | 尼崎一帯の粉塵公害により呼吸器系統に重症を患う |
昭和24 | 30 | 生家 寶満寺敷地内にて内科・小児科医院開業 |
昭和25 | 31 | 日本紡績工業大和高田工場の医務室に勤務 |
昭和27 | 33 | 再び寶満寺敷地で開業 |
昭和30 | 36 | 医院を五條市岡口に移転 |
森永砒素ミルク中毒をいち早く告発 | ||
昭和34 | 40 | レイチェル・カーソンに先駆けて世界で初めて「農薬の害」発表 |
6月 慈光会の前身「健康を守る会」発足 | ||
昭和35 | 41 | エンドリンの害を自らの人体実験により証明する |
昭和36 | 42 | 池田首相へ農薬の害を進言する |
サンデー毎日が「農薬の害」を取り上げ紹介 | ||
昭和37 | 43 | 5月5日 周囲の人々の懇願により、第1回仏教会講話始まる(於自宅) |
昭和38 | 44 | 第1回島村外賢先生追悼法要で法話(於 大和高田市善正寺) |
以後 昭和62年まで年2回行う | ||
昭和42 | 48 | 関西テレビで「大和の赤ひげ」として放送される |
昭和45 | 51 | 3月 「慈光会」結成 |
昭和46 | 52 | NHK教育テレビ「安全食糧確保への道」に出演 |
9月 「慈光会」が財団法人として認可される | ||
直営農場開墾開始 | ||
東京にて有機農業研究会の共同発足人となる | ||
昭和49 | 55 | 7月 慈光会自然食品販売所を五條市内に開店 |
昭和50 | 56 | 有吉佐和子著「複合汚染」に「昭和の華岡青洲」と紹介される |
4月 第9回吉川英治文化賞受賞 | ||
6月 香川県高松市にて講演(以後全国各地において講演) | ||
10月 「全国有機農業研究会 第1回全国大会」開催 | ||
10月 「直営農場完成記念講演会」開催 | ||
12月 「有機農業革命」ダイヤモンド社 初版発行 | ||
昭和53 | 59 | 12月 「生命の医と生命の農を求めて」柏樹社 初版発行 |
昭和54 | 60 | NHK教育テレビ「宗教の時間」で龍谷大学 森教授と対談 |
10月 中日友好の船 訪日団が直営農場視察 | ||
12月 米国農務省よりジェームス・パル農学博士訪問 | ||
昭和60 | 66 | 4月 「仏陀よ!」地湧社 初版発行 |
昭和61 | 67 | 9月 NHK教育テレビ「心の時代」に出演 「永遠の生命を求めて」のテーマで語る |
11月 慈光会館完成 | ||
昭和62 | 68 | 5月 音楽会「ベートーベンに聞く」主催(於 橿原文化会館大ホール) |
昭和63 | 69 | 「無有恐怖」を著す |
平成1 | 70 | 5月 寶満寺開創380年 再興200年慶讃法要で病をおして「生死巖頭に立って」を講演 |
平成2 | 71 | 「愛する子孫の生存と幸せのためご尽力ください」を世界の主要国、国連専門機関へ発送 |
9月 NHK教育テレビ「心の時代」に出演 「いのちの発見」のテーマで語る | ||
平成3 | 72 | 「死の魔王に勝て」柏樹社 初版発行 |
平成4 | 73 | 「愛する子孫の生存と幸せのためご尽力ください」のメッセージがWWF(世界自然保護基金)機関紙に掲載 |
12月 五條仏教会講話が休講となる | ||
平成5 | 74 | 5月7日 第455回仏教会講話(最後の法話)を病床で録音 |
5月17日 午後8時逝去 |